青春18きっぷの旅 2008年冬その3

 7時に朝食を取り、市内観光に出る。夕べからの雪で、かなり積もっている。と、言っても関東に住んでいる自分の感覚で本当ならまだまだなのだろう。8時前にホテルを出て、飯盛山に行く。会津戦争の際、白虎隊が自刃した場所で歩いて15分程度のようである。歩道を誰も歩いておらず、最初の足跡を付ける。歩いていると、足が冷たい。非常に通気性の良いスニーカーのようで、靴下も濡れてきている。地図を見る限り、まっすぐのようだが車は時折通るものの誰も歩いていない。今日は大晦日だからなのか、ひと気のない道を一人歩く。時折、吹雪になり前が見えなくなる。

 ようやく飯盛山が見えてきた。ここまでで、歩いていたのは犬の散歩をしていた人が一人。観光客などは誰もいない。一人で飯盛山に登る。観光シーズンだとエスカレータが動いているようだが、シートをかぶせて運休中。坂を登り、階段を上り白虎隊の資料館に到着したが、開館時間はまだのようでさらに登る。ここまで、誰も来ておらず新雪の上に私一人。白虎隊士19名の墓所を参拝。一人息を吹き返した飯沼貞吉の墓は、同じ飯盛山の別の場所にある。誰もいないので、厳粛な雰囲気がさらに厳粛に感じる。少し怖いくらいでもあるが。引上げの洞窟など周辺を廻り、資料館を見学。 飯盛山から鶴ヶ城に向かう。歩くと30分くらいと思う。歩き始めると吹雪に。目が開けられないくらい雪が降ってきた。たまたまタクシーが止まっていたので、それで鶴ヶ城に向かうことにした。タクシーを使うのは好まないが、雨宿り(?)をするような場所が全くないのでいた仕方ない。10分程度で鶴ヶ城に到着。会津若松のタクシーは3,000円を超過すると半額になるようであるが、近距離なので関係はなかった。

 鶴ヶ城は、会津戦争で落城し明治になって破却され、今ある天守閣は昭和になってコンクリートで復興されたもの。中は資料館になっている。いろいろな本を読んで、予備知識は多少あるものの実際の展示物を見ると、賊軍となり明治の世になっても差別を受けた会津の人々の苦労が忍ばれる。市内で一番高い建造物なので眺めは良いのだろうが、天候悪化のため最上層から眺めることはできなかった。
 鶴ヶ城からは最寄り駅の西若松まで歩く。こちらの方が市の中心のようで、車が多く道は雪が溶けかかって水たまりがあちこちに出来ている。西若松から会津若松に戻り、もうすぐお昼になるので何にするか考え喜多方に行くことにする。喜多方と言えば当然ラーメン。どこがおいしいのかはわからないが、とりあえず行ってみることにする。喜多方駅に着くと、また吹雪に見舞われる。散策して探すなどという気が全く起きないので、近くの店に入る。入った店は、結構有名な店のようで芸能人のサインなどが飾っている。席も観光客でいっぱい。外れではなさそうである。注文して、ラーメンを食べる。スープは美味しかったが、麺は柔らかすぎる感じであまり好みの味ではなかった。
 雪は相変わらず降り続いているので、喜多方駅の待合室で次の会津若松行を待つ。雪の影響で遅れるとのこと。会津若松での乗り換え時間が余りないが、待っていたので無事に乗り換えられ郡山に。途中、猪苗代湖畔駅というのがあるので、猪苗代湖が見えるのかと思ったが線路から大分遠いようだ。郡山に着くころには雪は全く無くなっている。郡山から福島行に乗り継ぐ。福島からは奥羽本線も出ているが、各駅停車がほとんど走っておらず途中の庭坂までで、山形新幹線に乗らなければ米沢まで行けない。そのまま東北本線の小牛田行に乗り換え仙台で下車。もう6時前なので、ホテルに向かう。気温が低く、雪は降っていないものの道路が凍結して滑りやすくなっている。ホテルにチェックインし、夕飯を食べに行こうと思う。仙台と言えば牛タンくらいしか思い浮かばなかったので、ホテルにあった地図を頼りに牛タンの店に行ってみる。が、前日から正月休みで食べられない。結構歩き回ったが、寒いのと早く戻って紅白をみたいと思い、駅で仙台駅の牛タン弁当と一ノ関駅三陸あわびうに飯を買い酒を飲みながら食べることにする。どちらもそれほど期待はしていなかったが、結構おいしい。三陸あわびうに飯は全体量が少ないもののウニがご飯の上にしっかり乗っておりアワビも思ったより入っている。1,200円なら納得できる値段。