志塾

 夕方よりJCの神奈川ブロック協議会会員会議所連絡会議の志塾に出席。講師に笹幸恵氏を招いて、日本国の自虐的な戦争認識ではなく、歴史的史実に基づいた戦争認識や歴史観を学びというセミナー。講演を聞いて衝撃を受けたのは、戦地の慰霊碑の大部分が戦友会で建立したものでかなりの慰霊碑が消滅しかかっているということ。民間で建てたものだから、自分たちで管理しなさいということだが建立した戦友会のメンバーはほとんどが80歳以上なのだから、管理どころか慰霊のため現地に訪れることは難しい。ガダルカナル島アメリカの慰霊碑は、国で管理をし警備員を雇って管理している。それに引き替え、日本の慰霊碑は碑文は持って行かれ(恐らく資源として盗まれ売却されたとのこと)、落書きが目立つ。同じ島の慰霊碑で国の考えでこれほどまでに違うものなのか。
 もう一つ、改めて感じたのがあと10年から20年のうちに太平洋戦争に出征した人がいなくなってしまうということ。語り継ぐということは大事だが、簡単ではないことを話していただいた。私の父が他の祖父は当時40歳を超えていたので兵役は免除されていた。母が他の祖父は、昭和19年ごろに再招集され水戸の連隊に配属され九州で終戦を迎えたと聞いている。父は終戦の年、今で言えば小学6年生で宮城県作並温泉疎開していたが、盲腸炎で3月9日に東京都文京区に戻りその翌日東京大空襲に遭遇した。凸版印刷の倉庫の方に逃げたというから諏訪町(今の飯田橋職安の近く)から滝野川あたりに行ったのだろう。祖父も父も詳しい話をすることはあまりなかった。そういった体験を語りたくなかったのだろう。すでに亡くなっているので、もう聞くことはできない。語り継ぐという難しさがここにもあった。